+-+ +-+ +-+ +-+ +-+ +-+
寝過ごした自分をジャンは心の中で叱咤する。
何時もであれば、もう少し早めの時間帯で女性専用車両に乗るのに寝過ごしてしまった。
既に女性専用車両は人で溢れていて、乗れそうな気配がない。
しかし、この電車に乗らなければ学校に間に合わない。
さんざん逡巡したが、ジャンは小さく息を洩らしながら電車に乗ることを決めた。
『あ~、もうサイアク…』
オッサンどもの加齢臭やら香水やら汗やらの匂いでジャンは顔を顰める。
学校までの最寄り駅までは我慢するしかない。
カーブの度に車両が揺れて、足が縺れてしまうこともあった。
「…………?」
足の間に違和感があることに気付き、何だろうと思うと誰かのカバンが挟まっている。
車両が揺れのせいで『たまたま』足の間に挟まっただけだろうとジャンは知らぬフリをした。
だが、そのカバンが少しずつ上に上がっていくのを感じて偶然じゃないと確信する。
短いプリーツスカートが上がり、下着の上からカバンで擦られた。
今まで痴漢などに遭ったことのないジャンはどうしてイイか分からずに身体を強張らせる。
抵抗をしないと判断したのか痴漢は大胆にもジャンの尻を弄り始めた。
『ちょっ…! ふざっけんなよッ…!』
そう思いながらもジャンの身体は硬直したように動かない。
スカートを捲り上げられて、ジャンは持っていたカバンをギュッと胸元で抱き締める。
心の中で『叫ばなきゃ』と思っているのに恐怖のために声すら出ない。
「ゃ…!」
抵抗の声は余りに小さく、車両のアナウンスで掻き消されてしまう。
隣にいるサラリーマン風の男は気付いているはずなのに完全に無視を決め込んでいた。
無視だけなら良かったのに、男は横から何もないようにジャンの胸を横から肘で押してくる。
まるで地獄に放り込まれたような気分になった。
どうしてイイか分からずにジャンは小さく震えながら、唇をキュッと噛み締める。
最寄り駅に行くまでの我慢と思って、耐えることしか考えられない。
そうして大人しくしていると後ろの男が息遣い荒く後ろからジャンの胸を鷲掴みにしてきた。
「ひゃッ…!」
こんなことまでされると思っておらず、ジャンは小さな悲鳴を洩らす。
流石に今の状況はマズイと感じて、何とか振りほどこうと身体を捩じらせた。
男どもの力は強く状況は何も変わらず、遅刻をしてもイイから次の駅で降りようと決めたとき。
「朝っぱらから痴漢か、豚野郎」
ジャンの胸を鷲掴みにしていた男の手を掴んでいた。
小柄ではあるが、威圧感は半端なかった。
痴漢男の腕を捻り上げたところでドアが開いた。
助けてくれた男がジャンに出るように言い、腕を捻り上げたままで駅に降り立つ。
情けないことに足がガタガタと震えて、ジャンは駅のホームでしゃがみこんだ。
「わ、私は、痴漢などしていない! その子が誘ってきたんだ!」
往生際悪く喚く男を見て、ジャンの怒りが沸々としてくる。
身体が震えてしまい、思うように言葉を発することが出来ずにいた。
何でもイイので言い返さなければと思いながら、ジャンは口を動かそうとする。
「豚野郎、これが誘ってきた女の態度だと思うのか?」
「演技に決まってるだろうが!」
「豚相手に何を言っても無駄か…」
それだけ呟くと男は痴漢男の腹に他の人間には余り見えないようにニーキックを入れた。
痛みのせいか気を失ってしまったようだ。
痴漢男を担いだ男は何事もなかったかのように階段を上り、障害者用トイレに向かう。
もう遅刻は確定なのだから、ジャンは男の後を追うことにした。
足は震えているけれど、歩けないほどではない。
男が障害者用トイレに入るとジャンも一緒に入って鍵を閉めた。
「全員捕まえられなくて悪かったな」
「助けてくれて、有り難う御座いました…」
「テメェにも非があるのは覚えとけ。
クソ短いスカートだったら、痴漢されても仕方ねェぞ」
「あ、はい…。 電車に乗るときは気を付けます」
床で気を失っている男の腹を蹴り飛ばすと痴漢男は「ううッ…」と呻く。
それから目を覚まして、自分の置かれている状況を把握したようだ。
顔は青褪めており、ガタガタと身体を震わせている。
こんなに怯えるくらいなら、痴漢なんかしなければイイのにとジャンは思う。
少し怖くなったジャンは男の後ろに下がった。
男は漸く身体を起こした痴漢男に近付いて、髪の毛を鷲掴みにする。
「このまま、テメェを警察に引き渡しても良いんだがな」
「ひっ! そ、それだけは止めてくれ!」
「あ? それなりのことをしたんだろうが、テメェは…」
「反省している! もう絶対にしない! 約束する!」
トイレの床で土下座をしている痴漢男が哀れになってきた。
小さく息を洩らして「もうイイ」と言おうとしたジャンより先に男が痴漢男の後頭部を踏みつける。
思いもよらぬ男の行動にジャンは驚いたように目を丸くした。
「あ? そんな土下座で許されると思ってんのか?
どうせ心の中では反省も何もしてねェんだろうが…」
「はッ、反省している! 本当だ!」
「それなりの『誠意』を見せてもらいてェもんだな」
「金か? 幾ら払えばイイ?」
その痴漢男の言葉に男は苛立ったらしく、また腹部に容赦のない蹴りを入れる。
痛みで大きな身体は丸まり、男は何度も痴漢男に蹴りを食らわせていた。
死にはしないだろうが、やりすぎ感は否めない。
だが、『痛そうだな』と思うだけでジャンは男の行動を見ているだけだった。
男は顔などは蹴らずに衣服で見えないところばかりを狙っている。
恐怖のせいか、痴漢男が身体を震わせた。
何かと思っているとアンモニア臭がしたので失禁したのだと分かる。
「は、写メッとけよ」
蹴るのをやめた男は痴漢男の髪を掴んで無理矢理に立たせた。
スラックスは股間の辺りが濡れており、大人が随分と情けない姿である。
言われたようにジャンは痴漢男の姿を写メると男と痴漢男に見せた。
「次にフザケたことしたら、分かってるよなァ?」
「ひっ! も、もう二度としません!」
「それとテメェが気絶してるときに名刺は貰っといたからな」
恐ろしいことをサラリと言ってのける男に痴漢男は震え上がる。
この調子であれば、二度と痴漢などしないだろう。
痴漢男を残したままで男とジャンは障害者用トイレを出た。
「あのッ…!」
「あ?」
「名前、教えてもらってもイイですか?」
「………」
ジャンの言葉に無言になる男を見て、ジャンは苦笑いを浮かべる。
それから「今のは忘れてください」とだけ言うとジャンは駅のホームへと向かおうとした。
腕を掴まれてしまい、ジャンは歩くのを止めてしまう。
男に手首を掴まれており、その手は思っていたよりも武骨で逞しかった。
少し困惑したような表情で男は「リヴァイ」とだけ告げる。
それが彼の名前だと理解できるとジャンは表情を少しだけ綻ばせた。
「リヴァイさん、また会えるとイイですね」
「会えるに決まってんだろ…」
「はい?」
「何時もテメェと同じ時間の電車に乗ってんだからよ…」
思いもよらぬリヴァイの言葉にジャンは小首を傾げる。
何時もと同じ電車ということは、これよりも早い電車に乗っているということ。
それにも拘らず、今日は一緒の電車に乗り合わせていた。
「それって…」
「…何時もの時間に来てねェから電車に乗るのズラした…」
その言葉は反則だと思いながら、ジャンは頬が赤くなるのを感じた。
マトモに顔を見ることが出来なくて、少し視線を逸らしたジャンは頬に手を当てる。
間違いなく火照っているであろう頬は熱くなっていた。
何も言えずにいるとリヴァイはジャンの手を引っ張り、ホームのほうへと足を向ける。
同じ電車ということは同じ方向に行くのだから当然かと思い至った。
正学校に行くのが面倒臭くなってきたが、ケータイを見るとラインで数件着ている。
『悪い、今日はサボる』
それだけイツメンに送るとジャンはカバンの中にケータイを仕舞いこんだ。
リヴァイに掴まれた手を解こうと手を重ねる。
面白いほどにリヴァイが身体を震わせたのでジャンは小さく吹き出した。
「な、何だ?」
「今日はサボることにしたんで、向こうのホームに行きます」
「そう、か…」
「お仕事、頑張ってください。 じゃあ、また明日」
明日は何時もの時間に行って、リヴァイの姿を探してみよう。
そんなことを思いながら、ジャンは地元に帰る電車のホームに向かった。
少しだけ楽しみにしてる自分をジャンは自覚をしていた。
+-+ +-+ +-+ +-+ +-+ +-+