+-+ +-+ +-+ +-+ +-+ +-+ +-+
どうして、何時もテメェがいるんだよ。
俺が気になった人はエレンの近くにいる。
ミカサに恋心を抱いたときも、今と同じ状況だった。
『お前にはミカサがいるだろ…?』
調査兵団に入団してから俺は初めて人を尊敬した。
それは同期で首席卒業をしたミカサではなく、人類最強の戦士と謳われる男。
ただ、圧巻の強さに憧れるということしか出来なかった。
しかし、彼の一挙一動に動揺する自分は恋としているのだと思った。
目の前を通り過ぎられただけで、俺の心臓は高鳴る。
何時の間にか彼のことを目で追っていたりする。
ミカサもリヴァイ兵長もエレンの傍にいるのを見て、俺は何時も絶望するんだ。
幼馴染のミカサがエレンの傍にいるのは分かる。
其処にリヴァイ兵長まで…。
「俺、憲兵団に行けば良かった…」
そうしておけば、自分はリヴァイを好きになることもなかった。
ミカサへの恋心も薄れていったかもしれない。
そして、何よりもエレンに嫉妬する惨めな自分を知らずに済んだのに…。
「今更、嘆くなって! なるようにしかならねェんだから!」
俺より快適な脳内をしているコニーに俺は「そうだな」と返した。
これがコニーなりに俺のことを心配してくれているのは分かっていたから。
調査兵団に入って、俺の心は本当に汚くなっている。
確かにエレンとは意見が合わないし、顔を見るたびにケンカをしていた。
それでも、こんな風に『アイツがいなくならねェかな』とか思うことはなかった。
本当に心の狭い自分が情けなくなる。
「最近のジャン、何か元気ないね。 これ、あげるから元気出して!」
何時もは絶対に食べ物を譲ってくれることのないサシャが飴をくれた。
こんなに優しい同期に囲まれている俺は本当に幸せなのだ。
コニーとサシャに心配されてるとか情けなすぎる。
「ありがとな、二人とも…」
ウジウジと悩むのは自分の性に合わないのは知っていた。
リヴァイ兵長がエレンを好きでいてもイイじゃないか。
俺がリヴァイ兵長を好きだということに変わりはないのだから。
気合いを入れるように両手で自分の頬をパンパンと叩いた。
自分のことを好きになってほしいとか思うからダメなんだ。
ただ、好きでいるだけでイイ。
「次は立体起動の応用的な使用方法についてだ!」
指揮官の声に俺は姿勢を正し、其方に向かって敬礼をした。
後ろにチラリと見えたリヴァイ兵長の姿にトクンと胸が高鳴ったのが分かる。
今は恋より、どうやって生き残っていくかを考えるべきだ。
「凄いね、やっぱり!」
「え?」
「立体起動の使い方をホントに分かってるっていうか、見てて凄いなって思う!」
少し声を弾ませたクリスタを見遣り、ジャンは素直に「ありがとう」と答えた。
立体起動の使い方に関しては自分でも得意分野だとは思っている。
自分にはエレンのような特殊な力があるわけでもない。
そう考えたら、今の自分に何が出来るかなんて簡単に想像が出来た。
死なないことと努力することしかない。
「テメェ、名前は何だ…」
クリスタと話していて、後ろにいた気配に全く気付かなかった。
世間話しすぎたかと思い、俺は振り向き様に「申し訳ありませんでした!」と謝る。
勿論、これ以上ないくらいに深々と頭を下げてだ。
「削ぐぞ。 テメェの名前は『申し訳ありませんでした』なのか?」
「いえ! 俺はジャン・キルシュタインと申します!」
相手の言った『削ぐぞ』の言葉で目の前にいるのがリヴァイ兵長だと思った。
こんなところを見られるなんてと心の中でボヤいた。
足音が近付いてきたので上目遣いで見るとリヴァイ兵長の足が見える。
蹴られるのかもしれないと身を固くした。
確かエレンは歯が抜けたとか言っていたので歯を食い縛るのも忘れない。
何を言われるのだろうか。
「何時まで頭下げてんだ。 さっさと訓練を続けろ」
「は、はいッ…!」
特にお咎めなしで俺は小さく息を吐いた。
リヴァイ兵長は身長が高い方ではないけれど、威圧感だけは半端ない。
あの身体の何処に巨人を何匹も倒す力があるのだろうと背中を見送った。
リヴァイ兵長の後ろを見送ってからジャンは訓練を続けることにした。
最前線で巨人と戦う部隊ということもあり、訓練は実践で役立つようなことばかり。
あとは巨人に対しての知識や兵法を習う。
「疲れた~! ジャン、休憩に行こうぜ!」
「悪い、もう少ししてから行く」
「さっきも同じこと言ってただろ? 休憩はシッカリとだ!」
もう少し先程の復習をしておきたかったのだが、コニーに阻まれてしまった。
確かに適度な休憩も必要だよなと思った俺は一緒に水を飲みに行く。
それから後悔してしまうんだ、来なけりゃ良かったって…。
「あ、エレンだ! うっわ、隣にいんのリヴァイ兵長じゃん!」
「さっさと水飲みに行こうぜ…」
エレンはリヴァイ兵長直属の部下という肩書がある。
俺には何もない。 ただの104期卒業生の新兵だということくらい。
また嫌な気分になる。
エレンではなくて、自分自身が嫌いになる。
さっき、悩まないと決めたはずなのに直ぐに揺らぐ俺の心。
エレンと一緒にいるリヴァイ兵長を見ていたくなくて、コニーの腕を引っ張った。
「痛ェ! ジャン、力入れすぎ!」
「わ、悪い…」
そのコニーの声が大きかったせいでエレンが俺たちの存在に気が付く。
リヴァイ兵長直属の部下になってから、同期の俺たちと顔を合わせることなんて殆どない。
嬉しいのか満面の笑顔で両手を振っているとリヴァイ兵長に蹴られている。
「アイツ、相変わらずバカだな!」
「そうだな…」
素っ気なく答えると俺は水飲み場へと向かった。
既に水飲み場は新兵で溢れ返っており、何だか水を飲めそうな感じがしない。
小さく溜息を洩らし、俺は木陰でしゃがみこんでいた。
やべ、頭がクラクラしてきた。 あんま水分摂ってなかったからかな。
少しだけ休んだ方がイイのかも…。
「ダメダメすぎんだろ、俺…」
また自分が嫌いになる。 自己嫌悪の無限ループにハマってる気がする。
俺に出来ることをしていけば、それだけでイイじゃないか。
そう思っているのに、なかなか上手に事が進まない。
「ジャン!」
「エ、エレン…?」
「リヴァイ兵長が手伝ってほしいことがあるから執務室に来いって!」
「は? 俺が? 何で?」
唐突すぎるエレンの言葉に俺は意味が分からなくなる。
エレンは俺の問いに関して「知るかよ!」と一蹴して、俺の腕を引っ張っていった。
案内されたのは間違いなくリヴァイ兵長の執務室で俺は呆然とする。
エレンがノックをするとリヴァイ兵長の「入れ」という声が返ってきた。
何の躊躇もなく入っていくエレンに対し、俺の足は地面と一体化したように動いてくれない。
そんな俺の腕をエレンがグイッと引っ張った。
「探すのに手間取ってしまい、お待たせして申し訳ありませんでした!」
礼儀正しく頭を下げるエレンに倣って、俺も頭を下げることにする。
何で、こんな場違いな場所に俺はいるんだろう。
リヴァイ兵長が「詫びなんざイイ」と言うとエレンは頭を上げる。
コイツと一緒の行動してりゃ、特に何かを言われたりはしないだろう。
「では、俺は失礼します!」
「はッ!?」
何言ってんの、コイツ! リヴァイ兵長の前ということも忘れて、間抜けな声を出した。
引き止めるようにエレンの腕を引っ張ったが、エレンは「何?」と不思議そうにしている。
いやいやいや、どうして直属部下のテメェが残らないわけ?
「エレン、下がれ」
「はい!」
状況についていけませんけど、俺。
こんな機会は二度とないと思いますよ、思いますがね!
流石に面識も殆どないのに二人きりとかホントに勘弁してほしいんですけど!
エレンは敬礼をして、さっさと部屋から出て行ってしまった。
取り残された俺はリヴァイ兵長の言葉を待つしかない。
憧れでもあり、好意を寄せている相手の部屋に二人きりとか居た堪れない。
「あの、俺は何をすれば…」
「取り敢えず、座れ」
「は、はァ…」
ソファに腰を下ろして、ジャンは少しだけ部屋を眺めた。
潔癖症と言われるだけあって、必要最低限の物しかない部屋だと思った。
掃除はしやすいだろうなと思いながら、俺はリヴァイ兵長の言葉を待つことにする。
「テメェにはしてほしいことが2つある」
「は、はい…」
「1つは俺の部屋の掃除だ」
「………………………はい?」
何で俺が掃除をしなくちゃいけないとかいう話になるわけ?
リヴァイ兵長が何を考えているのか分からなくて、俺は間抜けな返事しか出来なかった。
疑問形で返事をしたはずだが、リヴァイ兵長は肯定として受け取ったらしい。
少し待ってもらえませんか、リヴァイ兵長。
俺は新兵で殆どアンタのことを知らないんですよ?
知ってることなんて、『人類最強の戦士』という肩書と『潔癖症』ということくらい。
「それと、もう1つだ」
「はァ…」
「俺のことを好きになれ」
「…………………………………………………………はい?」
余計に意味が分かりません。
それに俺は最初からリヴァイ兵長のことが好きなんですけど…。
思い切り片思いしてたんですけど、それを此処で言うべきなんですか?
いや、何らかの罰ゲームで言わされているのかもしれない。
迂闊に変なこと言うとガチで削がれる。
この場合、俺は何て答えるのが正解なんだろう。
誰か、助けてくれ。
+-+ +-+ +-+ +-+ +-+
目の前にいる男は本当に何を言っているのだろう。
この人はエレンが気に入ってるんじゃないのか?
どうして、俺なんかに『好きになれ』なんて言うんだ?
俺の心はアンタに奪われているってのに…。
低いけれど、良く通る声で「返事は?」と問い返される。
訳の分からないまま、俺は敬礼をして「了解しました」とだけ答えた。
「よし、今から掃除の仕方を教えてやる」
「午後から訓練が…」
「テメェの予定は俺が勝手に変えた」
訓練よりも部屋の掃除が優先なんですか?
そんなことをリヴァイ兵長に向かって言う勇気もない。
俺は「はァ…」と気の抜けた返事をした。
有無を言わせずにマスクと箒と雑巾とモップを手渡される。
俺たちの下っ端の部屋とは違って、立派な部屋だ。
窓を開け放つと柔らかい風が俺の頬を撫でていく。
「まず、掃除の基本だ。 上から掃除をしていくことだ」
ハンディモップで棚などの埃を落していくリヴァイ兵長の姿を見ていた。
こんな近くでリヴァイ兵長を見たのは初めてかもしれない。
ボンヤリと考えていると、リヴァイ兵長からハンディモップを手渡される。
「徹底的にやれ」
「は、はい…」
俺、ホントに何してんだろ。 調査兵団に来て、掃除?
意味分かんねェけど、上官の命令は絶対的なものであるのは知っている。
ハンディモップで俺は部屋中の埃を綺麗に落していった。
潔癖症というのは本当らしいと思えるほどに綺麗だ。
殆ど埃もないくらいだけれど、少しでも埃が残っているのが嫌なのだろう。
物が少ない部屋で本当に良かったと思いながら、俺は掃除に専念することにした。
「次はテーブルとかの拭き掃除でイイですか?」
「ああ、そうだな」
「じゃあ、桶に水入れてきます」
それだけ言うと俺はリヴァイ兵長の返事も聞かずに部屋を出て行った。
もう何が何だか分からない。 どうして、俺が兵長の部屋の掃除してんだよ。
このまま逃げ出したいけれど、逃げたら間違いなく削がれる。
「ジャン! 訓練サボって、何してんだよ?」
「…リヴァイ兵長の部屋の掃除…」
「は? お前、何してんの?」
それは俺のセリフだと思いながら、坊主頭のコニーを見遣った。
汚い水で洗って、そのまま絞って拭いたら、間違いなく怒るな。
本当に面倒臭いけれど、2つの桶に水を入れた。
そんな俺の姿をコニーは珍しそうに見ている。
お前も訓練サボってんじゃん。
俺は別にサボってるわけじゃねェけど…。
「お前、リヴァイ兵長に何かしたのか?」
「するわけねェだろ。 まともに喋ったのも今日が初めてくらいだっての!」
「聞いた話によると兵長は自分の部屋の掃除は他人にさせないらしいぜ?」
「は? マジで?」
「ああ、エレンが置いてあるもの触ろうとしただけで蹴られたって言ってた」
こっわ! 何、これって罰ゲームかよ!
殆ど何もない部屋ではあったけれど、部屋の物に触るときには注意しよ。
あの人の蹴り、半端ないって聞いてるし…。
「じゃあ、遅くなると怒られるかもしんねェから行ってくる」
「おう! じゃあ、また夕飯のときにな!」
二つの桶を持った俺は戻りたくない道程を重い足で歩いて行った。
部屋に戻るとリヴァイ兵長は執務デスクにある書類を処理をしている。
邪魔しちゃ悪いなとか思いながら、俺は一つ一つの家具を丁寧に拭いていった。
殆ど汚れてない雑巾だけれど、わざわざ二度洗いをして家具を綺麗にしていく。
やっぱ、、兵士長になると部屋も立派なんだなと思ってしまう。
徹底的に掃除しろとか言ってたし、水回りとかも掃除しとかないとダメだよな。
『ホントに何してんだろ、俺…』
執務中であるリヴァイ兵長を見遣りながら、俺は小さく息を吐いた。
水回りも本当に綺麗で掃除する必要あんのかとさえ思ってしまう。
綺麗だろうが、全部の部屋を掃除しねェとな。
掃除ってのは結構な力仕事でもあり、多少の汗はかいてしまう。
こればっかりは仕方のない生理現象なわけで。
額に滲み出た汗をシャツで拭った。
「あの、掃除終わりましたけど…」
「そうか、少し待ってろ」
これが毎日とかだったら、マジで死ぬかも…。
調査兵団に入って、リヴァイ兵長の部屋の掃除で死ぬって恥だろ。
そんなことを考えているとリヴァイ兵長が戻ってきた。
「まあ、こんなもんだろ」
「あ、有り難う御座います…」
ダメ出しされなかったんだから大丈夫なんだろう。
取り敢えず、今後の自分のためにリヴァイ兵長に聞いておかないと。
これが毎日で更に訓練なんかがあったら、身体がオカシくなる。
「あの、この掃除は毎日するんですか?」
「あ? 俺が壁外調査で居ねェときだけだ」
「分かりました」
「そのときは、この鍵を使って部屋に入れ」
無造作に投げ付けられたものをキャッチして、手の中にあるものを見た。
さっきの言葉からして考えると、これはリヴァイ兵長の部屋の鍵。
そんな大事なものを俺なんかが持っててもイイのか?
でも、心の何処かでリヴァイ兵長の『特別』になれたようで嬉しかった。
この人のことが好きなんだと改めて思い知らされる。
俺は手の中にある鍵をギュッと握り締めて、リヴァイ兵長に敬礼をした。
「では、俺は失礼します!」
「待て」
「は?」
部屋の掃除も終わったことだし、少しくらいなら訓練に間に合いそうだ。
そんなことを思っていたのにリヴァイ兵長の声で俺は立ち止まる。
直立不動な俺の近くに歩いてきたリヴァイ兵長を俺は眺めていた。
ガッ…!
左の脹脛、思いっ切り蹴られた! 痛ッてェ!
この人、靴に絶対に何か仕込んでんだろと思いながら跪く。
俺を見下ろすリヴァイ兵長の表情からは何も読み取れない。
「あの、何か失礼なことでも…?」
「は、失礼極まりねェな。 俺の言ったことを覚えてんのか?」
髪を掴み上げられて、頭皮がマジで痛い。
この人、本当に何を考えてるのか全く分からねェし!
脹脛も頭皮も痛いし、何よりもリヴァイ兵長の目が怖くて痛い。
「言ったよな? 『俺のことを好きになれ』ってよ。
しかも、テメェは「了解」という言葉で肯定したよな?」
「えっと、それは冗談だと…」
「俺が冗談を言うような男に見えたのか? あ?」
本気で言ってんの? 正直、何と答えてイイか分からない。
俺もリヴァイ兵長のことが、ずっと好きで憧れていた。
その感情を、この場所で告げることが許されるのだろうか。
ダメだ、怖い。 この場所でリヴァイ兵長への想いを伝える勇気はない。
本当は「俺も好きです」と言いたいけれど、この人が何を考えてるか分からない。
何か言わないと、またリヴァイ兵長を怒らせる。
「も、もう少しだけ、待ってもらえませんか…?」
「あ?」
「今の俺、頭が余り働いてなくて…」
「考えるもんじゃねェ、これは心で感じるものだろうが」
リヴァイ兵長の言っていることは正論すぎた。
あれこれと考えて、人を好きになるわけじゃない。
ミカサのときも同じだった。
ただ、理屈も理由もなく好きになった。
リヴァイ兵長が好きになったときも同じだった。
『この人が好きだ』、そう直感で思った。
「分かって、ます…! でも、ちゃんと考えたくて…!」
好きな相手に情けないところなんか見せたくないのに…。
俺はリヴァイ兵長の前で泣いてしまった。
零れてしまった涙は止まることもなく、俺の頬を伝っていく。
腕で涙を拭おうとしたときだった。
リヴァイ兵長の胸板に自分の顔が埋まっている。
抱き締められていると分かったのはリヴァイ兵長の腕が背中に回っていたから。
「テメェを泣かせたいわけじゃねェ…」
その声がリヴァイ兵長らしからぬ頼りない声だった。
怖ず怖ずと俺はリヴァイ兵長の背中に腕を回し、その身体を抱き締める。
思っていたよりも、逞しい身体に安心している自分が何処かにいた。
「5日だ。 いや、3日だけは待ってやるから、返事を聞かせろ…」
+-+ +-+ +-+ +-+ +-+
こんな想いをするくらいなら、あのときに無理矢理にでも自分のものにすれば良かった。
新兵たちの訓練を珍しく見回ろうと思ったのはジャンがいると思ったからだ。
そのとき、坊主頭の少年と談笑するジャンの姿を見つけたとき。
どうしようもない激情に駆られた自分を自覚した。
あんな風に笑うアイツの姿を俺は知らない。
自分の知らないジャンの表情に俺は奥歯を噛み締めた。
「リヴァイ、何て顔してるの?」
「あ?」
「殺気立ちすぎだよ? 巨人もいないのにさ★」
「黙ってろ、削ぐぞ」
ハンジに忠告されなくても酷い顔をしていたのは分かっていた。
同期である坊主頭と談笑してるだけなのも分かっている。
それでも俺は坊主頭に嫉妬した。
「ははーん、恋の悩みだね?」
図星を突かれたということもあり、俺はハンジに向かって蹴りを喰らわせようとする。
それなりの付き合いであるハンジには俺の攻撃は無駄のようだ。
完全に攻撃のモーションを読まれていた。
ひょいと軽く躱されてしまったことが余計に腹立たしい。
ハンジは俺の見ていた方に視線を向ける。
誰を気にしていたかなんて、ハンジには一目瞭然だろう。
「可愛い子だよね、キルシュタインくん」
やはり、完全にバレた。 まあ、何となく想像はついていたので驚きはしない。
俺が否定しないということにハンジは笑みを浮かべた。
どうせはバレることだ。 弁解するようなことでもない。
「でも、リヴァイが嫉妬するなんて意外だね。
そんなに嫉妬深いだなんて知らなかったよ」
さっき、嫉妬深いことは自覚したところだ。
まさか談笑してるだけで心がザワつくだなんて思いもしなかったのだから。
坊主頭が俺とハンジの姿に気が付いたらしく、ジャンの脇腹を突く。
そんな些細なことですら、俺の心が淀んでいった。
慌てた様子で二人が敬礼するのを見て、ハンジは笑顔で手を振っている。
しかし、そんな気分でも性格でもないので無視をした。
「あの二人、別に変な関係じゃないと思うけど?」
「それくらい分かってんだよ」
「分かってるのに嫉妬しちゃうの!?」
「文句あんのか?」
ギロリと睨み付けると、ハンジは「怖い、怖い」と肩を竦める。
この場所にいると余計にイライラしそうだった俺は足早に去ることにした。
ハンジとは部屋の前で別れ、俺はデスクに山積みされた書類を見る。
「また増えてんじゃねェか…」
ドスッと乱暴に座ると俺は天井を仰いだ。
まだ1日しか経っていない。
こんな思いを、あと2日もしなければならないのか。
そう思うと憂鬱な気分にしかならない。
あのとき、無理にでも犯してしまえば良かったとすら考えている自分。
しかし、ジャンの泣き顔を見たときに『無理だ』と思った。
「クソッ…!」
あの場で自分のものにするのは簡単だった。
自分は兵士長という立場で、ジャンは新兵という立場だ。
上官の命令は『絶対』ということは理解しているだろう。
「俺一人で悩んでるみてェじゃねェか…」
自分の人生の半分も生きていない少年に心を奪われてしまった。
そして、彼の一挙一動を気にかけている自分がいる。
振り回されているのが自分だけみたいで苛立ちしか募らない。
どうしたら彼を自分のものに出来るだろうということばかり考えていた。
エレンを使って、ジャンを部屋に呼び寄せたのも職権乱用甚だしい話だ。
これをエルヴィンが知ったら、険しい顔で咎められるだろう。
苛立ちを少しでも抑え込みたくて、俺はデスクにあったティーカップを床に叩き付けた。
「し、失礼しますッ!」
乱暴なノックの後、俺の返事も待たずにドアが開く。
苛立ってるときに誰だと相手を睨むと、其処には苛立ちの根源がいた。
見たかったような、見たくなかったような、そんな気分になる。
「何の用だ」
「あ、えっと、団長に頼まれて…」
「用件だけを言え」
「書類を届けに来ました!」
コイツ、俺を苛立たせる天才か何かか?
敬礼をしながらも小脇に書類を抱えているのが分かった。
俺は「ご苦労だった」とだけ言って、ジャンの方へと近付いていく。
デスクまで持ってくるのが普通だろうがとは思った。
しかし、ジャンは動く気配もなかったので自分で取りに行こうと思っただけ。
俺が近付くとジャンの身体が強張ったのが見て分かる。
「俺が嫌いなら、嫌いで良い」
こんな身体全体で拒絶されているのも当然だ。
自分のものにしたいと思ったのは事実。
苛立ちながら、俺は言葉を吐き捨てるように言った。
「え? あの…」
戸惑っているジャンを見ることもせずに俺は小脇に抱えていた書類を引っ手繰る。
それから何事もなかったかのように俺はデスクに書類を放り投げた。
先程と同じように椅子に腰を下ろして、呆然と立ち尽くしているジャンを見遣る。
何が起こったか分からないと言わんばかりの顔に更に苛立った。
俺は山積みになっている書類に目を通し始める。
「テメェ、何時まで突っ立ってんだ。
用が済んだんなら、さっさと出て行け」
「あの、その…」
「目障りだ」
その俺の一言でジャンは絶望に打ちひしがれたような表情をした。
ジャンを傷付けたということは分かったが、それを気遣える余裕なんかなかった。
大人げないと言われても仕方のない行動だとも思っている。
「へいちょ…」
「聞こえなかったか? 目障りだ」
何かを言い募ろうとするジャンの言葉を遮るように俺は言葉を放った。
コイツのことが好きで仕方がないのに、俺はコイツを傷付けることしか出来ない。
人を好きになる資格なんか俺にはないのかもしれない。
何時ものジャンであれば、俺の命令に素直に従うはずだった。
しかし、今は俺の部屋から立ち去る素振りも見せない。
訝しげに見遣ると、ジャンは目から涙を零していた。
「…どうして、ですか…?」
「あ?」
泣きじゃくるわけでもなく、生意気に見える目から静かに涙を流していた。
一筋の涙が頬を伝い、顎まで辿り着くと、その涙は床へと落ちる。
何をしてやれば良いのか、何をするべきなのか分からない。
ただ、俺はジャンを見つめているだけだった。
「兵長、命令したじゃないですか! 昨日、『俺のことを好きになれ』って!
それなのに、意味分かんないです! 嫌いなら嫌いで良いって何ですか!?」
「…無理に好きにならなくて良い、そう言っただけだ…」
普段のジャンとは思えないほどの声にリヴァイは少し動揺した。
あれは命令でしかなかった。 ジャンに拒否権はなかった。
だが、そんなことでジャンを手に入れたとしても自分が惨めになるだけだ。
それが俺の出した結論であり、俺の言葉だった。
調査兵団の兵士長である俺は何時も死と隣り合わせに生きている。
そんな俺を好きになって、俺が死んだら、コイツはどうなる。
「分かんないっす! 兵長にとって、俺は何なんですかッ!?」
「調査兵団の部下の一人だ」
「…俺の気持ちなんて、考えてくれないんっすね…」
「あ?」
小さく呟いたジャンの言葉に俺は訝しげに眉を顰めた。
コイツは何が言いたいんだ? 俺に何を伝えようとしてるんだ?
そう考えている内にジャンは俺の部屋を出て行った。
追い駆けるべきか、そう思ったのに足が動かなかった。
そして、ジャンの言葉を反芻する。
あの言葉は何を意味するのだろうか。
『…俺の気持ちなんて、考えてくれないんっすね…』
まるでジャンが俺のことを好きみたいな、そんな言葉。
流石に其処まで自惚れることなんか出来ない。
手元にある書類をグシャリと握り締めた。
「分かるわけ、ねェだろ…」
もう、この恋は終わりなのかもしれない。
脱力したように俺はデスクに突っ伏すことしか出来なかった。
二度と声を掛けることも掛けられることもないだろう。
そう思うと、胸がキシッと痛んだ。
+-+ +-+ +-+ +-+ +-+
リヴァイ兵長が『俺を好きになれ』と言ったとき。
俺は戸惑ったけれど、それでも心の何処かで嬉しかったんだ。
愛されなくても良い、好かれなくても良い。
この人を好きでいることを許されたんだと思ったから。
それなのに『…無理に好きにならなくて良い、そう言っただけだ…』と言われた。
無理になんか好きになってない、リヴァイ兵長のことが本当に好きなのに…。
「ジャン?」
「エ、エレン…?」
無我夢中で走っていた俺を引き止めたのはエレンだった。
正直、コイツにだけは会いたくなかった。
ミカサにも愛され、リヴァイ兵長にも気に入られているコイツにだけは…。
「泣いてん、のか…?」
「目にゴミが入っただけだッ! 放っておけよ!」
こんなの完全に八つ当たりだ。
コイツが悪いというわけじゃないのは知っている。
でも、今の俺はエレンに八つ当たりすることでしか心を落ち着けられない。
掴まれていた腕を振り解くとエレンは不機嫌そうな顔をした。
そりゃ、そうだ。 わざわざ、心配した相手に怒鳴られるんだから。
気まずい気分になって、俺は「悪い」とだけ謝る。
さっさと違う場所に行こうとしたが、急に腕を引っ張られた俺は抱き締められた。
「なッ…! 何してんだ、テメェ!」
「放っておけるかよ! そんな顔で泣かれてたら、放っておけねェのが普通だろ!」
俺より身長の低いエレンの肩口に顔を埋めた俺は涙を零す。
恥とか外聞とかなく、子どものように泣きじゃくった。
相手がエレンだとか関係なく、こうして誰かの温もりに触れることで安心できる。
「何があったかなんて言わなくても良い。 俺は聞かないから。
どんな理由であれ泣きたくなったら、今度からは俺のとこに来いよ…」
「エ、エレン…?」
「こんな風に抱き締めてやることくらいなら出来っから…」
背中を何度も擦られていると少しだけ気持ちが落ち着いたような気がした。
心の中で『コイツがいなければ』と思ったことは何度もある。
それでもエレンは俺を受け入れてくれた。
肩口に顔を埋めていたせいでエレンの服が俺の涙で変色している。
流石に申し訳ないと思い、俺は「悪かった」とだけ謝った。
その俺の言葉にエレンは気にしてないように笑って、それから俺の目元に触れる。
「後で冷やしておけよ?」
「うっせ、分かってる」
「はは、そっちのがジャンらしい」
鼻を啜ると奥の方がツンと痛くなった。
さっきより気持ちは落ち着いていて、エレンなりに気を使ってくれたんだと思う。
目元に優しく触れているエレンの手が冷たく感じるのは目元が熱いせいだ。
「何してる?」
低音の声音を耳にして、俺たちはビクリと大きく身体を震わせる。
声のした方に視線を向けると明らかに不機嫌そうなリヴァイ兵長がいた。
怒気というよりも殺気すら感じる視線で俺たちを射竦める。
エレンが慌てた様子で敬礼の格好をしたので俺もエレンに倣った。
視線が俯いてしまうのは、さっきのことがあったからだと思う。
リヴァイ兵長の顔が真面に見れない。
「もう一度だけ聞く。 何をしている?」
「同期と会話をしていただけです!」
「あ? そんな風には見えなかったが?」
「泣いていた同期を気にすることは軍規に違反するものでしょうか?」
エレンはリヴァイ兵長を真っ直ぐ見つめながら、ハキハキと自分の主張を言った。
リヴァイ兵長の眉間の皺が深くなっていることにエレンも気が付いているはずだ。
あからさまな不機嫌な表情にもエレンは臆することはない。
「俺はリヴァイ兵長の命令で兵長のところへジャンを連れていきました。
その後にジャンが泣きながら、こちらの方に走ってきました」
「何が言いたい?」
「リヴァイ兵長がジャンを傷付けるようなことをしたのではないですか?」
「ちょッ…! エレンッ…!」
流石に踏み込みすぎだろうと俺は慌てた様子でエレンの服を引っ張った。
エレンは俺の方を見ることもなく、真っ直ぐにリヴァイ兵長を視線で捕らえている。
正直、生きた心地がしないと思ってしまった。
エレンは引く様子もないし、リヴァイ兵長も苛立った様子のままだ。
こういう場合に俺は何をすれば良いのだろう。 何を言えば良いのだろう。
オロオロすることしか出来ない自分を情けなく思うしかなかった。
「ジャン・キルシュタインを此方に渡せ」
「今の兵長にジャンを預けることは出来ません。
殴られようとも、蹴られようとも、削がれようとも」
「ほう、良い心構えだな」
これでは俺のせいでエレンに迷惑が掛ってしまう。
それだけは避けたいと思い、俺は「エレン、悪い」とだけ小さく謝った。
上官命令に違反することは許されない。
敬礼の格好を止めて、俺は重い足取りでリヴァイ兵長の方へと歩いていった。
行きたくないと思っている足は非常に重くて、一歩進むのにさえ時間が掛る。
俺が逃げてきたのが悪い。 エレンは何も悪くない。
「ジャン! 何かあったら、俺んとこに来いよ!?」
そのエレンの言葉で少し救われたような気分になる。
逃げ道を作ることが出来たという自分勝手な打算でしかない。
リヴァイ兵長の近くに寄ると、兵長は力加減もせずに俺の腕を掴んだ。
「ぃたッ…!」
俺の声を無視したリヴァイ兵長は俺の腕を掴んだままで執務室へと向かおうとする。
あの部屋に行くのは怖い。 また何か絶望を知ることになるのではないかと…。
腕を掴まれているままなので俺は強制的に歩かされることになる。
何の抵抗も出来ないまま、俺はリヴァイ兵長の執務室へと連れてこられた。
俺を部屋の中に突き飛ばすとリヴァイ兵長は後ろ手で部屋の鍵を閉める。
逃げ道がなくなったと俺は絶望すら感じた。
「テメェの気持ちなんざ、俺の知ったことじゃねェ」
「…そう、ですね…」
俺が部屋を出て行ったときに残した言葉のことだろう。
確かにリヴァイ兵長が俺の気持ちを考えるなんて、そんなことはないに決まっている。
冷静に考えてみれば、当たり前のことじゃないか。
「だから、テメェが思っていることを話せ」
「え?」
「俺のことを、どう思っているのか。 嘘偽りなく話せ」
リヴァイ兵長の言葉に俺は驚きを隠せずにいた。
此処でリヴァイ兵長への恋心を語れとでも言っているのか、この人は。
そんなこと、出来るわけがない。 拒否をされたら?
俺は物事を基本的に悪い方向で考えてしまう。
何時も最悪のことを考えながら行動をしているのは今も同じだ。
拒否をされたら、俺は此処にいられなくなる。
「テメェにだけ言わせるのは不公平だな」
「………」
「さっき、俺はテメェを調査兵団の部下の一人だと言った。 これは嘘だ」
「え?」
思いもよらないリヴァイ兵長の言葉に俺は驚いて顔を上げてしまう。
不機嫌ではない。 リヴァイ兵長は何かを戸惑っているような表情を浮かべていた。
そんなリヴァイ兵長の姿を見つめることしか出来ずにいた。
「テメェが、好きだ」
な、何を言ってんだ? リヴァイ兵長が俺のことを好き?
足に力が入らなくて、俺は床にヘタりこんでしまう。
何の冗談で、何の罰ゲームなんだ?
ヘタりこんだ俺のところに歩いてきて、リヴァイ兵長は俺の頬を両手で挟む。
ひんやりとした手が心地良く、火照った顔を冷やしてくれるようだった。
俺は何と答えれば良い?
「テメェの答えは何だ? どんな言葉でも俺は受け入れてやる」
「どんな言葉でもって…」
「俺のことが嫌いなら、その言葉を俺は受け入れる」
「好きって、言ったら…?」
「受け入れてやる」
これが夢なら、どうか覚めないでほしい。
リヴァイ兵長の顔が涙で視界が歪んでいくのが分かった。
これ以上、泣いたら間違いなく腫れちまう。
分かっているけれど、それでも俺の涙は止まることがなかった。
少し困惑した表情でリヴァイ兵長が指で涙を拭ってくれる。
そして、考え込んだ後に目元に唇を寄せた。
「テメェの泣き顔は無防備すぎる…」
目元にキスをされたのだと分かって、俺の頬が熱を持っていく。
今なら、俺の素直な気持ちを言っても良いだろうか。
リヴァイ兵長なら、受け止めてくれる。
「俺も、兵長が好きです…」
俺の言葉にリヴァイ兵長は驚いたような表情を浮かべた後、俺の身体を抱き締めた。
余りに力強すぎて痛いと思ったが、それでも抱き締められることの方が嬉しい。
リヴァイ兵長の背中に腕を回した俺は兵長の身体を抱き締めた。
見た目よりも逞しい身体を自分の腕で確かめる。
少ししてから身体を離すと思っていたよりも顔の距離が近くて驚いた。
反射的に距離を取ろうとしたが、それはリヴァイ兵長の手によって阻まれる。
「んッ…!」
驚きの余り俺は目を見開いてしまう。 俺、リヴァイ兵長にキスされてる?
ファーストキスが本当に好きな人と出来るとか幸せなのかも。
そんなことを考えながら、俺はそっと目を閉じた。
唇が離れるとリヴァイ兵長は角度を変えてキスをしてくる。
唐突なことに驚いて、口を開くとリヴァイ兵長の舌が口の中に入ってきた。
初めてだらけで俺は息を止めていたが、苦しくなってきて俺はリヴァイ兵長の胸を軽く叩いた。
「んんッ…!」
「あ?」
「はッ…! はァ、は…」
「テメェ、ずっと息止めてたのか?」
訝しげに問われる質問に俺は素直に頷くしかない。
実際に息を止めていたのは事実だから。
そんな俺を呆れるわけでもなく、リヴァイ兵長は頭を軽く撫でてくれた。
「キスするときは鼻で息すんだよ、クソガキ」
それだけ言うと、リヴァイ兵長は俺に噛みつくようにキスをした。
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ジャンを執務室に連れて行ったことを俺は後悔していた。
兵長がジャンのことを気に掛けていると知ったのは最近のことだった。
あの生意気そうな目がムカついたのかくらいしか思ってなかった。
執務室にジャンを連れて行ってから、俺は特に何をするわけでもなく歩いていた。
考えることは兵長とジャンのことばかりでモヤモヤするばかり。
ジャンは兵長のことを、どう思ってんだろう。
「あれ…?」
向こうから走ってくるのがジャンだと気が付いた。
前も見ないで我武者羅に走っているようで、その顔は酷く哀しそうだった。
え? もしかして、泣いてる?
「ジャン?」
「エ、エレン…?」
俺に腕を掴まれて、ジャンは驚いたように俺の顔を見た。
何時も生意気そうで気の強そうな目からポロポロと涙を流している。
こんな無防備なジャンの顔を見るのは初めてだと思う。
兵長と何かあったんだろうということだけは分かった。
どうして、こんなに気に掛るんだろう。
顔を合わせれば、何時も口喧嘩にしかならないジャンが気になって仕方がない。
「泣いてん、のか…?」
「目にゴミが入っただけだッ! 放っておけよ!」
少し心配したのにジャンは苛立ったように声を荒げた。
この態度には流石にムカついてしまう。
更には腕を振り解かれてしまい、不機嫌というのが表情からでも分かるだろう。
そんな俺に気が付いたのかジャンは小さな声で「悪い」と謝ってきた。
こんなジャンを俺は知らない。 俺の知ってるジャンは生意気で喧嘩ばっか売ってくる。
どうしようもない気持ちになってしまった俺はジャンの身体をギュッと抱き締めた。
「なッ…! 何してんだ、テメェ!」
「放っておけるかよ! そんな顔で泣かれてたら、放っておけねェのが普通だろ!」
そう、放っておけない。 放っておけるわけがない。
こんな顔をして、こんなに泣いているジャンを見過ごすわけが出来るわけない。
俺より身長の高いジャンは肩口辺りに顔を埋めて泣きだした。
「何があったかなんて言わなくても良い。 俺は聞かないから。
どんな理由であれ泣きたくなったら、今度からは俺のとこに来いよ…」
「エ、エレン…?」
「こんな風に抱き締めてやることくらいなら出来っから…」
俺に出来ることなんて、本当に限られているけど。
泣くことで心を落ち着けられるなら、何時でもジャンを受け入れようと思う。
顔を合わせる度に喧嘩ばっかしてるけど、俺にとっては大切な同期なんだから。
子どものように泣きじゃくるジャンの背中を擦りながら不思議な感覚に陥る。
俺は本当にジャンのことを同期として見ているのだろうか。
もっと特別な人間として考えているんじゃないか。
「悪かった」
最初は何を謝っているのか分からなかったけど、ジャンは俺の肩を見つめていた。
服に涙が染み込んでしまったことを謝っているのかと分かった俺は小さく笑う。
それから真っ赤になってしまっている目元にそっと手を伸ばした。
「後で冷やしておけよ?」
「うっせ、分かってる」
「はは、そっちのがジャンらしい」
グスッと鼻を啜っているジャンの姿を見て、この気持ちが何なのか分かってしまう。
分からなかった方が良かったのかもしれないが、もう自覚してしまったものは仕方がない。
触れているジャンの目元が熱い。 目も赤くて、結構泣いたんだろうなと思った。
その涙の原因は間違いなく兵長だろうと俺は確信をしていた。
あのとき、俺がジャンを兵長の執務室なんかに連れて行かなければ…。
嫉妬という感情で俺は奥歯をキツく噛み締めた。
「何してる?」
威厳すら感じさせる低音の声に俺たちは身体を震わせる。
この聞き覚えのある声は兵長のものだ。
怒気なんて生易しいものじゃない殺気を含んだ視線で俺たちを見つめていた。
本当は今すぐにでも真相を問い質してやりたい。
しかし、相手は自分の直属の兵士長である限りは絶対的存在だ。
俺が何時ものように敬礼をしたら、ジャンも同じように敬礼の格好をする。
ただ、ジャンの視線は兵長を捉えてはいなかった。
「もう一度だけ聞く。 何をしている?」
「同期と会話をしていただけです!」
「あ? そんな風には見えなかったが?」
「泣いていた同期を気にすることは軍規に違反するものでしょうか?」
ジャンを泣かせたということもあって、俺は語気を強くして兵長に主張を述べる。
俺の言葉に兵長の機嫌が悪くなっていくのが目に見えて分かった。
しかし、これで俺の怒りが収まるわけがない。
「俺はリヴァイ兵長の命令で兵長のところへジャンを連れていきました。
その後にジャンが泣きながら、こちらの方に走ってきました」
「何が言いたい?」
「リヴァイ兵長がジャンを傷付けるようなことをしたのではないですか?」
「ちょッ…! エレンッ…!」
慌てたように俺を止めようとしたジャンに構わず、俺は兵長の顔をジッと見つめた。
俺と兵長の遣り取りを眺めながら、ジャンは戸惑いを隠せずにいる。
本当はジャンの前で聞くことじゃないのは分かっていた。
それでも俺はジャンを泣かせるようなことをした兵長を許すことが出来なかった。
兵長がジャンに何を言ったのか何をしたのかなんて知らない。
俺に分かっているのは『ジャンが泣いていたこと』だけだ。
「ジャン・キルシュタインを此方に渡せ」
「今の兵長にジャンを預けることは出来ません。
殴られようとも、蹴られようとも、削がれようとも」
「ほう、良い心構えだな」
このままジャンを引き渡してしまえば、またジャンに辛い思いをさせてしまうかもしれない。
元はと言えば、俺がジャンを兵長の執務室に連れて行ったことから始まった。
原因は俺にあると言えなくもない。
「エレン、悪い」
小さく呟くようにジャンは俺の隣から兵長の方へと歩いていく。
しかし、その足取りは重そうに見えた。
兵長のところに行くと決めたのはジャン自身なんだから俺に止める資格なんかない。
本当であれば、このまま腕を引っ掴んで何処かに行きたい。
そんなことをしてしまえば、俺だけじゃなくジャンにも迷惑が掛ってしまう。
「ジャン! 何かあったら、俺んとこに来いよ!?」
兵長の元に行くジャンに俺は出来るだけ大きな声で伝えた。
不機嫌そうな表情をしている兵長はジャンの腕を掴むと執務室へと歩いていく。
俺は何にも出来なかった無力さに「クソッ!」と小さく毒吐くことしか出来なかった。
それから自分に割り当てられている地下室へと向かった俺は無気力にベッドへ倒れこむ。
あの後、ジャンは辛い思いをしていないだろうか。 泣いたりしたいないだろうか。
気に掛るのはジャンのことばかりで俺はイライラばかりしていた。
カタン…
静かすぎる地下室に聞こえる物音に俺は反応をする。
その後にコツコツという足音は耳に馴染んでしまったもので誰のものかも分かった。
兵長が来たのだと俺はベッドから身体を起こす。
「わざわざ何の用ですか、兵長?」
「テメェに言っておくことがあってな」
用件がジャンのことだというのは分かり切っていた。
俺は睨み付けるように兵長を見つめると、兵長は呆れたように小さく笑う。
何時もは気にもならないのに、今日は兵長の一挙一動が腹立たしい。
「テメェはジャン・キルシュタインのことを諦めろ」
その一言だけを兵長は告げた。 それだけで俺が「分かりました」と答えるとでも?
あれだけジャンを泣かしておいたくせにと俺は兵長に対する苛立ちが増す。
この言い方だとジャンも兵長のことが好きだったんだろう。
目出度く両思いになれたから俺には諦めろと言いに来たのか。
ジャンが兵長のことを好きでも構わない。
また兵長がジャンを泣かすようなことがあれば、その隙を俺は狙う。
「俺の諦めの悪さ、兵長も知ってるでしょ?」
「ジャンのことは諦めねェってことか?」
「諦めませんよ、当然」
「アイツは俺に惚れ込んでんだ。 勝つ見込みがあると思ってんのか?」
何時もの上から目線で語られる言葉に俺は苛立ちしか覚えない。
普段であれば全く気にもならないのに、今日ばかりは話が別だと思った。
確かにジャンは兵長に惚れ込んでいるのだろう。
「そんなに自信があるなら、俺がジャンを好きでいるのに問題はないでしょ?」
「あ?」
「それとも何かあったときにジャンを奪われそうで怖いんですか?」
挑発するような俺の言葉に兵長は怒りを露わにした。
思い切り兵長に腹を蹴られて、余りの痛みに俺は跪いてしまう。
下手したら、血吐くぞ。 加減ってもんを知らない人だと睨み付けた。
まだ蹴り足りなさそうだが、それを何とか堪えているのが分かる。
こんなに怒りを露わにする兵長は珍しいと思う。
巨人に仲間を食い殺されても出来る限りは平静を保とうとしているくせに。
「ジャンのこと、諦めませんから」
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