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ただ、俺は強くなりたかった。
『人類最強の戦士』と言われる、あの人に追い付きたいとか思っていない。
あの人に追い付けるわけがないのは自分で分かっている。
でも、俺は強くなりたかった。
あの人の足手纏いにだけはならないように強くなりたかった。
守られるだけの存在なんて冗談じゃない。
「ジャン、無理しすぎだろ?」
「ん?」
コニーに声を掛けられて、初めて自分が汗だくだったことに気付く。
既に辺りも薄暗くなっており、食事の時間が近いらしい。
時間を確認すると確かに充分な時間が経っていた。
わざわざ食事に行こうと誘いに来てくれたようだ。
纏わりつくようなシャツに不快感はあったが、着替えている時間はない。
取り敢えず、汗だけ拭ったジャンはコニーと一緒に食堂に向かう。
「最近、ムキになってねェ?」
「ムキになってるつもりはねェよ…」
「それならイイけどよ、あんま無理すんなよ」
そう言われるということは無理をしているように見えるのだ。
新米が幾ら訓練をしても死ぬときは死ぬと分かっている。
それでも訓練をすることで自信をつける以外に方法が分からない。
「ジャン、席確保しといてくれよ!
俺、もう少し並ばなきゃダメみたいだし!」
「さっさと来いよ」
ジャンは自分のトレイを持って、適当に空いた席に腰を下ろす。
それからコニーを待ちながら、何をするわけでもなくボーっとしていた。
すると、トレイを置く音がしたのでコニーが来たのだと思った。
「へ?」
「あ?」
想像していた坊主頭ではなく、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた男。
世間で『人類最強の戦士』と呼ばれる男が目の前にいた。
其処はコニーの席ですということも出来ない。
本人はジャンの戸惑いも無視して、コニーのために空いていた席に座る。
トレイを持ってきたコニーを見つけ、声を掛けようとしたのだが…。
『アイツ、逃げやがった…』
ジャンの目の前にいるのがリヴァイだと分かった瞬間に目を逸らした。
しかも、そのままサシャたちのところに向かうのが見える。
今からトレイを持って移動すると言うのは余りにも失礼すぎる。
相手は上官であり、雲の上のような存在なのだ。
溜息を洩らしそうになるのを堪えて、ジャンは両手を合わせた。
小さく『いただきます』と言って、食事を始める。
「汗臭ェ…」
「え、あの、俺ですよね…」
「テメェ以外の誰がいんだよ、クソガキ」
「シャワー浴びる時間がなくて…」
これを口実に席を離れることも可能かもしれないとジャンは少し笑った。
リヴァイは潔癖症であるというのは調査兵団で有名なこと。
そんなリヴァイが汗臭い人間と一緒にいたがるだろうか。
いや、ない!
勝手に自分の中で話を進めて、ジャンはトレイを持ち上げて席を離れようとする。
それをリヴァイが「オイ」と一言で止めた。
上官様の言葉に逆らえるわけもなく、ジャンはトレイを持ったままで直立する。
「は、はい?」
「何処に行くつもりだ」
「他の席に移ろうかと思っただけですけど…。
汗臭いの嫌なんですよね?」
「誰が、そんなこと言った。 さっさと座れ」
逃げ場所を失ったジャンは先程と同じ席に腰を下ろすことになった。
空腹だったジャンにとって、美味しいはずの食事が味も分からない。
黙々とジャンは食事を平らげるしかなかった。
「今まで何してた?」
「素振りとか立体機動の確認とか色々です…」
嘘は何一つとして言ってはいないし、嘘を言ったところで見破られる。
ジャンの答えにリヴァイは「そうか」だけ告げただけだった。
緊張して損したと思いながら、何時もより早めに口を動かす。
出来る限り、この場所から抜け出したかった。
リヴァイと一緒にいると何故だか心が落ち着かない。
この耳に響く声は余りに馴染み過ぎている。
「ご、御馳走様でした…」
完全に独り言で虚しくなってくるが、礼儀としては必要なものだ。
やっと席を離れることが出来ると思ったジャンは腰を上げる。
しかし、またしてもリヴァイの不機嫌そうな「オイ」という言葉に阻まれた。
「な、何ですか…?」
「どんだけテメェが強くなろうと、俺に敵うわけねェぞ」
「そんなこと、知ってます…」
改めて言われると今までしてきたことが無駄になったような気さえする。
別にリヴァイに追い付こうなんて思ってもいない。
ただ、自分はリヴァイの足手纏いにならないようにしているだけだ。
背中を預けてほしいとか、一緒に戦いたいとか思ってなんかいない。
リヴァイにばかり助けられるような人間になりたくないだけだ。
「失礼します…」
これ以上、リヴァイと一緒にいると泣いてしまいそうな自分が嫌だ。
弱い自分を見せたくなんかない。
小さく頭を下げるとジャンは足早に食堂を出て行った。
「クソッ…」
食堂を出た後に兵舎に戻る気分にもならず、ジャンは外の風に当たっていた。
頬を撫でる風は優しくて、ジャンはホッと息を洩らす。
汗臭いとか言われていたので、後で身体を洗っておかなければと考えていた。
今日は月夜なので立体機動の確認でもしておこう。
部屋でも出来ることだが、風に当たりながらのメンテナンスも悪くない。
このメンテナンスも手慣れたものだ。
「身体、冷やすぞ」
心の中で『またアンタですか』と言って、ジャンは振り返った。
其処には思っていた通りのリヴァイの姿。
バサッとフードを投げ付けられ、ジャンは訝しげにフードを見遣る。
「羽織っとけ」
「俺、汗臭いんですけど…」
「構わねェ」
「じゃあ、遠慮なく…」
冷たい態度かと思えば、急に優しくしたりする。
リヴァイの考えることだけは一生分からないだろうなと思った。
フードを羽織って、ジャンは先程と同じようにメンテナンスを続ける。
その内、リヴァイも何処かに行くだろう。
フードは洗って返せばイイと思いながら、黙々と作業をしていた。
しかし、リヴァイはジャンの後ろに立ったままだ。
「あの、何でしょう…?」
「見てるだけだ」
「面白くも何ともないですよ?」
「俺の一言で一喜一憂するテメェの姿は面白ェぞ」
こういうところは本当に好きになれない。
ジャンはリヴァイを無駄に意識をしているのは自覚している。
それを指摘されるのは実に不愉快ではある。
「強くなりてェのか?」
「当たり前じゃないですか、死にたくないですから…」
正直、調査兵団に入った頃から自分の死は覚悟していた。
エルヴィン団長が演説で生き残る確率について語っていたのを覚えている。
生存する確率は余りに低い。
それでもリヴァイの足手纏いになって死ぬよりは役に立って死にたい。
精鋭兵なんかには自分はなれないと思っている。
ただ、リヴァイの何らかの役には立ちたい。
「テメェに期待なんかしてねェ…」
「他に言い方ないんですか?」
こんな言い方だと喧嘩を売られているような気分にさえなる。
リヴァイが素直に何かを言うことなんて滅多にない。
それは分かっているけれど、もう少し気を遣ってくれても良いのでは…。
いや、彼は兵士長で自分は新米でしかない。
そんな自分にリヴァイが気を遣う必要など全くないのだ。
「リヴァイ兵長は強いですもんね。
これ以上、強くなろうなんて思ったりしないんですか?」
「あ?」
どんな巨人相手でも怯むことなく、迅速に巨人を斃していく。
目の前で見た者にしか分からないリヴァイの圧倒的な強さ。
手を伸ばしても絶対に届かない。
「俺は前より強くなった」
「え?」
「守るものが増えたからな…」
リヴァイの言っている意味が分からずにジャンはリヴァイを振り返った。
思っていた以上に近くに立っていて、ジャンは少しビクッと身体を震わせる。
地べたに座り込んでいたジャンをリヴァイは後ろから抱き締めた。
「テメェが後ろにいるから強くなれた…」
風がリヴァイの黒髪を揺らし、それから石鹸のイイ匂いがする。
ジャンはリヴァイの言葉を何度も反芻して考えた。
少しだけ彼の言いたいことが分かって、ジャンは小さく笑ってしまう。
「兵長が死んだら、俺も死んじゃいますもんね…」
「わざわざ言ってんじゃねェよ」
きっと、リヴァイなりに考えた労わりや慈しみの言葉なのだと思う。
素直じゃないのはお互い様だと思いながら、リヴァイの腕に優しく触れた。
その腕は見た目よりも逞しく、とても温かいものだった。
「兵長、これからも強くなってくださいね」
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